刻一刻国医

とある医学部生のブログ

4年生になる

久しぶりにこのブログの存在を思い出したので、ここ3年の医学科生活を振り返ってみようと思う。

1年前期

いろいろ部活(医学部の運動部、全学部サークルなど)に入って頑張っていた。バイトも始めた。

医学研究をしたいから人一倍勉強をがんばろうと思ってはいたが行動は伴っていなかった。テストはそれなり(上から4分の1ぐらい)の点数をとれていた。

友達もそれなりに増えたが、小中高のような本音で付き合える友達はあまりできなくて悩んでいた。何よりノリが合わないぞと感じていた。6月に地元のある友達に裏切られたと感じた出来事があり、地元の友達に対しても失望し落ち込んだ。

全体的にはがんばっていた。しかし、7月に親族が亡くなる、知人の自殺未遂の場面に遭遇する、大学での人間関係に悩むという3つの出来事が重なり、そこからメンタルがどんどん崩壊していくこととなった・・・。

1年夏休み

大顰蹙を買いながら(申し訳ございません)バイトを2ヶ月休んだ。

1週間ほど海外に行き、実家に帰って地元の友達と遊びつつダラダラし、実習に行き、免許合宿に行った。コロナ禍の今振り返るとなかなか充実した夏休みだったが、免許合宿のあたりで精神的に崩壊してしまい、当時は充実した夏休みだなんて到底思えなかった。

1年のときは風呂トイレ共同の賄い付き下宿に住んでいて、免許合宿も大学の友達3人+初対面の1人の雑魚寝部屋だったのだが、どうやら私は集団生活が苦手なようだ。

今振り返ると環境の変化・集団生活・7月のいろいろな辛い出来事のトリプルパンチで体調を崩したと分かるが、当時はそのように冷静に分析することはできなかった。まずは声の出しにくさから始まり、だんだん手の痺れ、動悸、頻尿、焦燥感など様々な症状を自覚するようになった。そのような症状によって自分は◯◯病なのではないか、△△病なのではないかというような不安にも苛まれるようになり、日常生活が手につかなくなった。免許合宿中、現地の診療所に行って心電図をとってもらったこともあった。運転免許の学科試験の勉強もできる状況になく、ギリギリだったが、テスト強さを発揮しなんとか運転免許はとれた。

このような調子でボロボロだった。免許合宿から帰ってきた後は病院依存症となり、地元でも大学の近くでも様々な科の様々な診療所に行きまくった。

1年後期

ということでボロボロなまま1年後期を迎えた。病院依存症は治らないまま。

部活はやる気を完全に失い、すべての部活で幽霊部員になった。アルバイトはなんとか続けていた。

この辺りから大学の友達との人間関係を維持するのが面倒になり、大学の友達ともほとんど話さなくなり、昼は家に帰っていた。

家でずーっと昔のお笑い番組をぼーっと眺めていた。

授業に出席はしていて課題も出していたが、勉強はまったく手につかなかった。

その結果、神経解剖学で追試にかかった。おまけに生物学の試験の順位も下から15%ぐらいでボロボロだった。他の科目は奇跡的に受かっていた。

このような状態ではあったが、運に愛され何とか進級を決めた。

後期の後半に差し掛かったあたりでさすがにこのままではヤバいと思い、精神科を受診しようと思ったが初診は3ヶ月以上待ちとのことで断念した。代わりに大学の保健室のようなところで精神科の先生に相談した。詳しい内容は忘れたが、部活でもやったらいいんじゃない?と言われた。

1年春休み

と、ボロボロだった私だが、年が明けたあたりから徐々に精神が回復していった。

そこで、(精神科の先生の助言の通りに)新しい部活に入った。その部活の同期と仲良くなり、春休みはスキーをしまくった。高校の友達と旅行にも行き、なんだかんだいって充実した春休みを過ごした。

おまけにそれまでリア充に対して呪詛を唱えていた私だが、リア充になってしまった。理解のある彼くんというやつだと思う。感謝してもしきれない。

そうこうしているうちにダイヤモンド・プリンセス号がやって来て、そこからあっという間に緊急事態宣言が出て、コロナ時代が始まった。

2年前期

コロナでしばらく休校期間があり、その後オンライン授業が始まった。テストがなくなった科目も多く、まったりと過ごした。

成績はまぁ普通ぐらいだった。

2年夏休み

解剖学実習の日程変更により夏休みが短くなった。解剖学以外の実習はなくなった。

おまけにコロナもあり、短期間の帰省と県内でのちょっとした遠出以外は特に何もできなかったが、それなりに充実した夏休みをを過ごした。

夏休みに、バイトをよりコロナ感染リスクが低そうなものに変えた。その移行期に2つのバイトが重なり、忙しすぎてまた発狂してしまったが(私は暑さに弱いのかもしれない)、「理解のある彼くん」の支えもあり、解剖学実習が始まる頃には多少良くなった。

2年解剖学実習

今思えばもっと予習をすればよかった。班内であまりうまくコミュニケーションがとれなかったことも反省点である。

顔面の神経や血管は本当に剖出が難しかった。

私は家族や自分を躊躇なく献体できるだろうかと考え、献体してくださった方には本当に頭が下がる思いだった。

ちなみにテストは片方が60点台(60点以上が合格)、もう片方が追試→追試合格とかなりギリギリだった。

私は解剖学が本当に苦手で、勉強していてまったく面白いとも思えず、テストの点数も悲惨だった。3年間で勉強面ではこの頃が1番辛かった。

2年後期

解剖学実習以外はテストらしいテストもなく楽だった。

バイト漬け生活、コロナ自粛、特別給付金10万円によりお金に余裕ができたので、車を買った。ほぼペーパードライバーの状態でMT車を買ってしまったので乗れるようになるか非常に不安だったが、今ではあちこち乗り回している。ちなみに納車の日が追試と重なったために、タイヤの関係で陸送納車してもらうことになった。数万円の痛すぎる出費だった。

2年春休み

実習がなくなり、加えて授業日程が変更になったのでとても春休みが長かった。

車を買ったために金欠になり、さらにコロナでどこにも行けなかったので、バイトをしまくった。バイトの入れすぎでまた病んだが、「理解のある彼くん」の支えのおかげで回復した。

猛烈バイト生活によりお金に余裕ができたので、バイトの合間にスキーや小旅行にも行った。長すぎた2年春休みもなんだかんだいって充実していた。

3年前期

バイトを増やしすぎたことで生活と精神に支障をきたしていたので、バイトの整理をして丁度よい忙しさになった。

大学の授業もオンライン中心ではあるがコロナ前とほぼ同じ水準で行われるようになりテストも全科目あったので、それなりにきちんと学習できたと思う。

テストの結果はほとんどの科目が7割ぐらいで渋めの仕上がりだったが、病理はとても良くできた。

3年夏休み

コロナの感染者数が多かったので、バイト、帰省、旅行などをしつつ控えめに過ごした。地元の友達が大学近くの自分の家に来てくれた。

比較的安定したメンタルで過ごすことができた。

3年後期

後期の前半は対面の授業が多く生活リズムが安定していて精神面も良い状態で過ごすことができた。

後期の後半はオンラインの授業が増え、昼夜逆転気味(というよりも夕方〜夜の1日数時間しか起きられない)になり生活リズムが崩壊した。その結果、精神状態も悪化し、春休みの現在もそれを引きずっている。

また、3年後期から臨床の授業が始まった。

私はもともと基礎に近い研究志望だったが、臨床科目の方が授業を聞いていておもしろく、テストの点数もとりやすい。臨床科目が中心になってからぐんと成績が上がった。総合試験の順位もひと桁と今までで最高に良く、完全に調子にのっている。

 

自分の医学部3年間を振り返ってみた。

医学部に馴染めているとはいえない私だが、なんとかここまで進級することができた。これには「理解のある彼くん」の存在が大きいと感じている。

4年生も無理せずに自分のペースでやっていこうと思う。欲を言うならば友達を少しでも増やしたい。